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NEWS : 第四回日越伝統木造建築交流会議報告

- 本会とベトナム・フエ遺跡保存センター共催 -

 第四回日越伝統木造建築交流会議報告

- 国際シンポジウムの開催に向けて -


 第四回日越伝統木造建築交流会議

本会とフエ遺跡保存センターによる第四回日越伝統木造建築交流会議が、2016年1月19日(火)ベトナム中部のトゥアティエン=フエ省にて全日本建築士会の会員など7名と王宮などの世界遺産にも登録されている歴史的建造物群を管理する同省のフエ遺跡保存センターの関係者20名以上の多数の関係者の参加により、成功裏に終了することができました。

フエの概要


 フエ王宮 午門

ベトナムの中部の都市・フエは、19~20世紀に存在したベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝の首都として栄えた古都です。市内中央を流れるフォーン川北岸に広がる旧市街地に点在する旧王宮や寺院、博物館、皇帝廟などの木造建築群は「フエの建造物群」として1993年に同国初の世界遺産に登録されました。

かつてフォーン川北岸(左岸)の旧市街(京師)には阮朝の官僚と庶民が住み、南岸(右岸)の新市街にはフランス人居住区が置かれていました。旧市街は城壁に囲まれた碁盤の目状の方形都市であり、その南側に更に城壁と堀に囲まれた王宮があります。フエに建てられた阮朝の建造物群には、中国式の建築様式にバロック建築とベトナムの伝統的な建築が取り入れられている点に特徴があります。


 フエ王宮 太和殿

フエ旧市街を囲む城壁は、フランス帰りの建築家レー・ヴァン・ホクが設計したものです。城壁内部の建築は北京の王城の形式に倣い、北京の紫禁城を4分の3に縮小した王宮が置かれています。王宮の東側には、国子監や六部などの官庁が置かれていました。現在、王宮はフエ遺跡保存センターによって管理されています。

王宮地域は縦604m、横622m、高さ4m、厚さ1mの城壁で守られています。城壁の外には濠がめぐらされ、水量は四方の水門で調節することができます。王宮の建造物の上部はふんだんに使われた陶磁器やガラスの破片で装飾されており、また、屋根瓦の固定に使われている漆喰は、建物の装飾にも使用されています。王宮の建築物に代表される阮朝建築は、2つの建物を屋根で結合して1つの建物とし、広い空間を作り出す点に特徴があります。2つの建物の屋根の間には雨水を流すための溝(樋)が設けられていますが、ベトナムの集中豪雨を樋だけで処理することは難しく、漏水、木材の腐食が問題になっています。


 フエ王宮内 視察

午門と呼ばれる王宮の正門は、正午になると太陽が門の真上に来るように設計されています。午門には複数の入口があり、中央の入口は皇帝専用の通り道になっていました。午門が完成した1834年には門の上に木造2階建て、5つの望楼を有する五鳳楼が建てられ、建設当初の五鳳楼には金箔が貼られていたといわれています。かつて午門はシロアリによる多大な被害を受けていましたが、ユネスコによる修復作業や日本からの援助によって、門の崩壊に対策が施されました。フエ王宮の午門も、やはり北京の紫禁城に設けられている午門をモデルにしています。

日越伝統木造建築交流会議の経緯

19~20世紀に存在したベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝の首都として栄えた古都・フエ。市内中央を流れるフォーン川北岸に広がる旧市街地に点在する旧王宮や寺院、博物館などの木造建築群は「フエの建造物群」として1993年に同国初の世界遺産に登録されました。

高温多湿の気候のため、木材の腐食が激しい上、戦争によって損傷を受けた建築物もあり、これらを後世に伝えていくために修復・保存が急務になっています。世界遺産としての基準を満たしたまま修復作業を進めるには、木造建築に関する技術の継承と、それに精通した人材の確保・育成が大きな課題です。


 フエ王宮 隆徳殿

こうしたベトナム側の窮状を受けて、建造物群の修復・保存に協力するため、フエで宮殿のシンボルとして現存する午門や太和殿の修復・保存に長く携わってきた中川武早稲田大学名誉教授の協力を受け、2012年に当会と宮殿などの歴史的建築物群を管理するベトナムの公的機関・フエ遺跡保存センターとの間で日越伝統木造建築交流会議が発足しました。以来、今秋で5年目を迎え、技術協力・人材育成などの環境整備に協力を進め、2014年10月の第三回日越伝統木造建築交流会議ではユネスコ・イコモス委員を迎え、フエ王宮内の劇場・閲是堂においてユネスコ・イコモスの委員会開催に向けた発表・討論が行われました。

第四回日越伝統木造建築交流会議

1月19日(火)午後2時から王宮内のフエ遺跡保存センター本部で「2016年の国際シンポジウムの開催に向けて」を主題に開催しました。

①遺跡保存の問題点


 延福長公主祠 修復作業 視察

会議では遺跡の修復・保存の課題について議論され、活発な意見交換がなされました。 ベトナムは、東南アジアにおける最も重要な伝統木造建築の集積地であり、特にフエはベトナム各地の世界遺産のある地の中心的なものとも位置づけられます。また、一単体の建物が世界遺産登録されたものでなく、広大な城郭地区全体が登録された、いわば面的な広がりを有するもので、その規模の大きさ・登録された遺跡群の多様なことなど、日本にも例はなく、伝統木造建築の歴史的集積地として世界有数のものであるといえます。


 延福長公主祠 修復作業 視察

世界遺産登録区域に対しては、6年ごとにユネスコの再評価が行われます。そのため、今後本格化する域内の壊された多数の建物の修復・復元の手法が重要になります。また、経済発展に伴って、世界遺産に登録された区域周辺の景観がユネスコの評価に影響することも考えられます。ユネスコの評価に耐えるためにも、日本の木造建築の修復技術や、日本において経済活動の進展により様々な景観上の問題が発生し、その結果整備されてきた景観上の諸法制度が重要な役割を果たせるのではないかと考えられます。

②国際シンポジウムの開催

会議では、今後の協力関係の方向性を確認し、フエ遺跡保存センターのファン・タン・ハイ所長からの提案を受け、本年の9月に、当会とフエ遺跡保存センター共催による、アメリカ、ドイツ、アジア諸国の専門家が参加する国際シンポジウムを開催することとなりました。


 延福長公主祠 修復現場

このシンポジウムは、建造物群だけではなく、阮朝の木版や宮廷音楽のニャ・ニャックなどフエにある五つの世界遺産の保存、研究成果を題材とする計画です。中でもメーンテーマの一つとして取り上げられる建造物群の修復・保存は、日本が他の国や研究者に先行している分野です。ファン・タン・ハイ所長も「建造物群の保存は国内外で注目が高い。これまでの全日本建築士会との協力関係をしっかりと評価し、修復・復元活動の重要性を世界にPRする好機」と期待を寄せています。

このシンポジウムでは、参加各国の専門家から、フエの遺跡の今後の整備に関する様々な発表がされますが、本会としては、従来の調査・協力関係を踏まえ、一層明確で具体的な協力関係の在り方等に係わる発表をする予定としています。従来の経緯を踏まえた日本からの発表は特に注目される可能性が高く、他方、このような意見交換、情報交換は今後の日本での歴史的遺産の整備・修復を考えて行く上で参考となることも多いと考えられます。

現地調査

会議当日の午前、フエから北へ40㎞のフックティック村を現地調査しました。 フックティック村は、フエ市の中心部から国道1号線をハノイ方向に向かって車で約1時間、トゥアティエン・フエ省の北西端、クアンチ省との境界に接するフォンホア村に属する世帯数約100戸の小さな集落です。村の3方を、蛇行する幅60mほどのオーロウ川にぐるりと囲まれ、その東側対岸に村の共同墓地があります。


 フックティック村 伝統家屋

この小さな村には、ベトナムの伝統的な建築様式に従って建てられ、築100年を超えるような古い民家が24軒残っています。そのうち12軒は今も村の人たちがそこで暮らしており、残りの半分は祖先の霊を祀る祠堂として保存されています。2009年にはこれらの伝統的家屋を含むフックティック村全体がベトナム国家文化財に指定されました。

村は川沿いと中央部が低く、中心から蛇行する川に向かって幅2mほどの小道が放射状に延びています。両脇を低い生け垣に縁取られた小道の先はそれぞれ河岸に設けられた船着き場となっています。村の民家はこの放射状の道を軸として、それぞれパラミツやオオバイチジク、マンゴー、リュウガンなどの果樹が植えられた緑豊かな庭の中に、静かにたたずんでいます。一方、川に面する村の外周には、各一族を祀る伝統的形式の祠堂や、カラフルなタイルや陶器片で装飾された新しい形式の祠堂がいくつか見られます。


 フックティック村 祠堂

この村の起源は古く、15世紀のレ・タン・トン王(1460-1497年)時代にさかのぼり、その後フエに都を置いたグエン王朝時代に現在のフックティック村に改称されました。この村ではもともと窯業が盛んで、最盛期には村内に大小33の窯があり、陸路や川を使った交易が盛んで、北のゲーアン省、クアンチ省、また南のクアンナム省、クアンガイ省ほかベトナム各地から舟でこの村に陶器を買い付けに来たとのことです。

しかし、次第にその窯業も衰退し、30年ほど前(1980年代)までなんとか続いていたものの、1989年には生産が途絶えてしまいました。しかし、その後、2003年にフエを訪れたベトナム建築家協会の巡検グループによる村の伝統的家屋の再評価や2006・08年に開催されたフエ・フェスティバルを契機として、村での陶芸再興への取り組みなどがなされました。そして2009年3月には、フックティック村全体が国家文化財に指定されたのを機に、建物だけでなく、村の自然や歴史を訪ね、村の食べ物を少人数で味わう「ルーラルツーリズム(都市居住者などが農場や農村で休暇・余暇を過ごすこと。グリーンツーリズムともいう。)」の試みも始まりました。2010年にはベトナム文化芸術協会とベルギーのフランコフォニー国際機関との共同で、伝統的な登り窯も一つ復元されました。


 フックティック村で作られた陶器

また、会議翌日、中川武早稲田大学名誉教授が携わっている旧皇族の邸宅(延福長公主祠)復元現場を精力的に視察しました。フエにはガーデンハウスと呼ばれる、阮朝時代(1802年~1945年)に貴族の館として建てられた伝統的木造家屋があり、当時1,000以上あったガーデンハウスは、1998年には331に減り、2004年には318となり、その数は今もなお減り続けていることから、トゥアティエン=フエ省は2006年から2010年の間に150のガーデンハウスを指定して保護する事業を実施しています。延福長公主祠もそうしたガーデンハウスの一つで、2012年10月の修復工事起工から、建立当初の材木を積極的に活用して修復を進める等、着実に復元へ向かっています。延福長公主祠の視察ではベトナムの伝統建築技術や木造建築の保存現場の現状などを確認しました。


 復元された登り窯

本会としては、フエにおける技術協力、情報交換を積極的に進めて行くにあたり、9月のシンポジウムで世界的な理解を得るとともに、将来的には日本国内でも他の木造建築関連団体と連携しながら国内外での協力の輪を広げ、修復・保存活動のより一層の推進につなげて行く考えです。

第四回日越伝統木造建築交流会議には本会からは、 海老原忠夫副会長、中村光彦専務理事、今井正敏理事、一糸左近理事、加藤博之本会企画業務課長が参加しましたが、会議開催にご尽力いただいたフエ遺跡保存センター長ファン・タン・ハイ氏や中川武早稲田大学名誉教授をはじめ、関係団体・関係者、会員及び会議参加の皆さまに謝意を表します。

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